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東京地方裁判所 昭和39年(ヨ)2124号 判決

申請人 浅名勝次

右代理人弁護士 福島等

同 谷村正太郎

被申請人 株式会社アマダ

右代表者代表取締役 天田勇

右代理人弁護士 佐藤貫一

主文

1、申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位を仮に定める。

2、被申請人は、申請人に対し金一四、一八〇円及び昭和三九年一月以降本案判決確定の日に至るまで毎月二五日限り金二六、五八八円を支払え。

3、申請費用は、被申請人の負担とする。

事実

第一、申請の趣旨

主文第1、2項同旨

第二、申請の理由

一、被申請人(旧商号・株式会社天田製作所)は、肩書箇所に本社、埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町に川口工場、神奈川県中郡伊勢原町に伊勢原工場をおき、万能金切帯鋸盤及び帯鋸刃の製造を業とするものである。

申請人は、被申請人に雇傭されて川口工場に勤務する従業員であり、全国金属労働組合埼玉地方本部天田製作所支部(以下「組合」という。)の組合員であるが、被申請人は昭和三八年一二月六日到達の書面で申請人を同月四日限り懲戒解雇する旨の意思表示をした。

二、被申請人が右懲戒解雇の理由とするところは、申請人が正当な理由なくして会社の配置転換(配転)に関する業務命令を拒否したので就業規則第六五条第九号の懲戒解雇事由に該当するというものである。

三、ところで、右解雇に至るまでの経緯は、次のとおりである。

1、(一) 被申請人は、昭和三四年六月二五日申請人を含む五名の組合員を解雇したが、埼玉県地方労働委員会はこれを不当労働行為と認め、昭和三五年三月二九日被申請人に対し五名全員の解雇取消し、バックペイ、誓約文の掲示を命じた。

(二) 被申請人は、右命令に対し中央労働委員会(中労委)に再審査の申立を行ったが、中労委は昭和三六年五月八日再審査申立を棄却した(中労委昭和三五年(不再)第七号事件)。

(三) 被申請人は、右中労委命令を不服として同年六月一七日東京地方裁判所に行政訴訟を提起したが、申請人が労働組合法第二七条第七項に基く緊急命令を求めたところ、同裁判所は同年一〇月七日原職復帰の緊急命令の決定を下した(昭和三六年(行モ)第一五号事件)。

(四) 組合は、右決定を実行させるため被申請人と度重なる団体交渉(団交)をもち、同年一二月協定を結び、同月二五日に組合員五名はそれぞれ原職(申請人は川口工場機械課第一旋盤班)に復帰した。

(五) ところが、昭和三八年九月二九日被申請人は、組合との団交の席上、申請人を伊勢原工場(伊勢原事業本部製造部機械課旋盤班)へ配転したい旨表明した。

2、(一) しかし、被申請人は、前記救済命令取消事件の判決に至るまで前記緊急命令を履行する義務があり、申請人に対する配転は緊急命令に違反するものであった。

(二) また申請人及び組合は、配転を必要とする具体的理由が明確でないこと、申請人の住居(当時、大宮市桜木町)から伊勢原工場までは片道三時間もかかること伊勢原工場への勤務は申請人の組合員及び全国金属埼玉地方本部青年婦人部の専門部員としての活動を不可能ならしめるものであることなどの理由により、被申請人の善処を求めて交渉を続けた。

(三) しかし、被申請人は同年一一月二五日付で同月三〇日から伊勢原工場へ勤務するよう申請人に命じた。

(四) 申請人は、被申請人には申請人を伊勢原工場に配転する事実上の必要性がなく、この配転命令は不当労働行為であり違法であると確信したけれども、新たな紛争を避けるため一応配転に応ずべく、その準備のため同月三〇日、一二月二日の両日有給休暇を請求し、被申請人に承認された。

(五) さらに、申請人は、一一月下旬から風邪に罹り一二月一日川口診療所で診察をうけたところ、六日間の休養を要するといわれたので、その旨の診断書を一二月二日速達便で被申請人あて発送した上、翌三日以降は病気のために出勤しなかった。

(六) なお、申請人の右配転をめぐって被申請人と組合との間に一一月二七日、同二九日、一二月三日団交が開かれたが、申請人は前二回のみ出席した。

四、以上の経緯によって明らかなように、本件解雇は、かねて申請人の組合活動を嫌悪していた被申請人が、配転の必要もなく配転拒絶の事実もないのに配転命令違反を口実として申請人を企業外に排除しようとしたものであって、労働組合法第七条第一号の不当労働行為であり、かつ、解雇権の濫用であって、いずれにせよ無効である。

五、申請人の賃金は月二六、五八八円で、前月二一日から当月二〇日までの分を毎月二五日に支払われる定めである。なお、昭和三八年一二月四日までの賃金はすでに受領しており、同月二五日に支払われるべき賃金残額は一四、一八〇円である。

六、申請人は賃金のみによって生活しているので、本件仮処分の必要性がある。

第三、被申請人の答弁及び主張

一、1、申請理由一、二及び三1の事実は、認める。

2 同三2(一)の主張は、争う。

同(二)の事実のうち、被申請人が申請人及び組合と申請人の配転に関し交渉を続けたことを認め、その余は争う。

同(三)の事実は、認める。

同(四)の事実のうち、申請人の一一月三〇日、一二月二日の有給休暇請求を被申請人が承認したことは認め、その余は争う。

同(五)の事実のうち、申請人が一二月三日以降出勤しなかったことを認め、その余は争う。

同(六)の事実は、認める。

3、同四の主張は、争う。

4、同五の事実は、認める。

5、同六の事実は、争う。

二、申請人配転の必要と解雇の正当性

1、被申請人は、昭和三八年四月二〇日頃新機種ターレット・フライスの開発を行ない、伊勢原工場において昭和三九年春頃より本格的生産を開始する予定等を決定した。その当時の見透しでは、新機種の生産見込台数は月産二〇ないし三〇台とされたが、伊勢原工場附近は労働力確保に困難で、特に熟練工の確保は殆んど不可能な情勢にある一方、川口工場における量産機種であるCRA―三〇〇が市況の下降から昭和三八年八月度から従来の月産一五〇台より一三〇台に減産せざるを得ないこととなり、ために生ずる余剰工数、就中熟練工を伊勢原工場における新機種の試作及び生産開始に備えて配転するを可とする状況となった。すなわち、昭和三八年五月下旬における工数計算の結果によれば、伊勢原工場でターレット・フライスを月二〇ないし三〇台を生産するためには長期的見透しとして六三名の増員を要するとされたのに対して、川口工場における同年六、七月頃の工数計算の結果では、CRA―三〇〇を月一三〇台生産するに要する直接工は九三名で足り、当時の直接工一二八名より右九三名を減じた三五名(うち旋盤工九名)が配転可能とされた。

2、そこで被申請人は同年五月二三日頃川口工場より伊勢原工場への配転基準として独身者、通勤可能者又は希望者をもってこれにあてる旨を決め、川口工場ではまず基準該当者のすべてを網羅抽出し、同年七月一二、一三の両日にわたり工場長、課長、係長、班長等による職場の協議を経た上で、二三名の配転者を選出した。しかし、その頃同工場にCRA―三〇〇の修理機問題等が発生したため、配転は二回に分けて行なうこととし、第一回として同年七月中吉田辰治以下一五名に配転を命じたところ、全員配転に応じた。その後修理機問題等も一段落したので、被申請人は同年九月二七日組合との団交の席上において、第二回配転者として残余の申請人を含む八名の氏名を発表して協力を要請し、右の内退職希望者を除く四名について同年一〇月一七日付をもって同月二一日より伊勢原工場への配転を命じたところ、他の三名はその頃配転に応じたが、申請人のみ辞を構えて右命令に従わなかった。

3、申請人の配転問題に関しては、昭和三八年九月二七日から同年一一月七日までの間、前後六回にわたり団交が行なわれ、その間配転拒否の理由として申請人から(1)埼玉県大宮市に居住しており、通勤不可能であること、(2)独身であるが埼玉県内に恋人がいて、配転に応ずればその関係に支障を生ずること、(3)日本民主青年同盟の埼玉県委員会常任委員をしており、これを離れることは自己の責任感が許さないこと、(4)従業員としての地位が緊急命令による仮のものであること、(5)配転は組合の組織弱化を招来すること、(6)被申請人に対し警戒心を有していること、右のほか組合から(1)配転命令は、申請人らの原職復帰に際し組合との間に締結された協定に違反すること、(2)現在旋盤部門は残業が続き、余剰工数は存しないこと、(3)配転命令は、労働基準法第二条との関連において根拠薄弱であること等の主張がなされた。

4、被申請人はこれらの主張を慎重検討した結果、いずれも根拠薄弱で首肯するに足らないものと認め、ことに同年九月の工数計算の結果伊勢原工場においては旋盤の経験工を緊急に増員する必要が認められ、当時同工場より配転促進について強い要請もあったので、前記のとおり申請人に対し重ねて同年一一月二五日付で配転を命じたが、申請人は有給休暇明けの同年一二月三日以後も同工場に出勤しなかった。

5、配転命令は専ら業務上の必要に基くものであり、被申請人は一一月二九日の団交における申請人の態度、一二月三日の団交における組合側の発言、一二月三日に至っても申請人が伊勢原工場に出勤しない事実に徴し申請人を故なく配転命令を拒否したものと認め、就業規則第六五条第九号の徴戒解雇事由「正当な理由なく上長の命に服しないとき」に該当するものとして本件解雇に及んだものであって、これを不当労働行為ないし解雇権濫用とする原告の主張は、なんら理由がない。

第四、疎明≪省略≫

理由

一、申請理由一、二の事実及び被申請人が申請人に対し昭和三八年一一月二五日付で同月三〇日から伊勢原工場(伊勢原事業本部製造部機械課旋盤班)に勤務するよう命じたことは当事者間に争がない。

二、配転命令の効力

(一)  緊急命令との関係

1  申請理由三1(一)ないし(四)の事実は当事者間に争がない。

2  救済命令(労働組合法第二七条第四項)は、不当労働行為を排除し、労働者又は労働組合に対し不当労働行為がなかった場合と同じ事実上の状態を回復させることを目的とし、使用者に対して右原状回復に必要な事実上の措置を命ずることをもってその限度とするものであって、右命令により当事者間の私法上の関係になんらの消長を来すわけではなく、したがって労働者又は労働組合も右命令を根拠として一定の私法上の効果を主張することはできない。また、使用者において命ぜられた事実上の措置につき一旦その履行を完了した以上、右命令は目的を到達し、その事後に至るまで使用者を拘束するものでないことは、いうまでもない。

緊急命令(同条第八項)は、救済命令の確定前使用者に対し救済命令の全部又は一部に従うべき旨を命ずるものであって、救済命令につき右に述べたところは緊急命令にもそのまま妥当する。

3  前記争のない事実によれば、被申請人は申請人を含む五名の組合員を解雇した不当労働行為につきいわゆる原職復帰を命ずる救済命令及び緊急命令を受けた後、昭和三六年一二月右五名を原職に復帰させて右命令の履行を完了していることが明らかであって、2に述べたいずれの理由からしても、申請人に対する本件配転命令が緊急命令に反するから無効であるとの原告の主張は採用に値しない。

(二)  配転命令の必要

1  ≪証拠省略≫によれば、川口工場における量産機種CRA―三〇〇(昭和三八年初頭月産一五〇台)が市況の下降により減産の必要を生じたため、昭和三八年四月二〇日の取締役会決議に基き同年八月以降月例一三〇台に減産を実施したこと、同年六月二五日生産管理部において試みた工数計算によると、川口工場においてCRA―三〇〇・一三〇台、CHA―三〇〇・八台の生産に要する直接工(当時現員五九名、うち旋盤工二五名)の数は、三九名(うち旋盤工一六名)となることが認められる。

2  ≪証拠省略≫によれば、前記取締役会において昭和三八年度中には伊勢原工場において新機種ターレット・フライス盤の試作を本格化して、昭和三九年春頃から月二〇ないし三〇台の生産を開始すること、右試作、生産に要する工員は原則として川口工場より配転することとし、昭和三八年中にこれを実施すること等を決め、七月中川口工場からまず一五名の直接工を伊勢原工場に配転したこと、当時伊勢原工場に新採用の工員(ことに経験工)を得ることは極めて困難であり、申請人は一〇月中新聞にも再三募集広告を出したが応募者は皆無であったことが認められる。

3  ≪証拠省略≫によれば、被申請人は、昭和三八年五月中川口工場から伊勢原工場への配転対象者は同工場への通勤可能者、配転希望者及び転居赴任可能と認められる独身者中から選考する方針を決め、同年七月一二日川口工場の係長以上の職制会議において、同工場の直接工中通勤可能者及び独身者(配転希望者・無)全員を抽出したうえ一応の人選を了え、旋盤工については申請人(独身者)を含む七名が配転対象者に選定されたこと、右選考の経緯は、旋盤工現在人員二五名のうち、退社予定者二名を除き、上記基準該当者は一一名であったが、前記生産管理部の工数計算による川口工場の所要人員一六名を維持するため、右一一名中個人的事情を考慮して小俣(埼玉県桶川町居住、父母と同居)、桑野(未成年者、父母と同居)の両名、生産目標達成上必要である旨の当該班長小田の意見を考慮して尾崎、町の両名(水上証言によれば、右両名は申請人に比し当時の勤怠・業績ともにかなり優れていたことが認められる。)を川口工場に残留させることとし、その余の七名が配転対象者とされたものであること、右の決定は翌一三日本社の幹部会議において了承せられたが、申請人については前記救済命令等の関係も考慮して八月頃まで一応留保することとしたことが認められる。

4  ≪証拠省略≫によれば、前記の経緯により決定をみた配転対象者全員二二名中一五名は七月中に配転を発令実施し、残余の七名に対しては同年一〇月一七日配転を発令したが、うち三名(うち旋盤工一名)は退職、四名だけが同工場に赴任したこと、水上、小田桐の証言及び弁論の全趣旨によれば、同年七月以降川口工場においては直接工の募集、新規採用のなかったことが認められる。

5  ≪証拠省略≫によれば同年九月生産管理部が行った工数計算の結果、伊勢原工場において同年一一月までに旋盤工(経験工)三名の増員が不可欠とされたこと、≪証拠省略≫によれば、同年一一月当時同工場においてはかなりの残業が実施されており、旋盤経験工の早急な充員を本社に要請していたことが認められる。

6  以上の事実を綜合すると、被申請人において申請人に対し本件配転命令を発したことは、事業上の必要によるものと認められ、その選考経過にも格別不合理な点はないものということができる。

7  ≪証拠省略≫によれば、昭和三八年九月二七日組合との団交席上被申請人が申請人を伊勢原工場への配転対象者に指名してから、本件配転命令が発せられるまでの間前後七回にわたる団交において組合及び申請人が被申請人主張(「事実」第三の二3)のような理由を掲げて終始右配転に反対した事実が認められるけれども、申請人の反対理由中(1)通勤不可能の点は、前記のとおり選考基準上独身者については転居赴任を建前とし、通勤の可否は本来考慮外とされていたこと、(3)恋人の関係の点は、水上、小田桐の証言によれば、申請人自ら私事であるとしてその具体的事情を被申請人に明らかにしなかったと認められること、(4)緊急命令との関係の点は前判示のとおり根拠がないこと、その他の点は使用者としてこれを配慮しないことが格別に不当とはいえないこと、さらに組合の反対理由中(1)原職復帰協定違反の点は、右協定の内容について疎明がないこと、(2)残業の点は、≪証拠省略≫により当時川口工場旋盤部門において残業が行われていたことを窺えるけれども、その一事をもって伊勢原工場の同部門よりも繁忙であったとは断定できないこと、(3)労働基準法第二条との関係の点は、その主張内容が不明確であることに徴し、上記6に判示した結論を動かすに足りない。

(三)  不当労働行為の成否

1  ≪証拠省略≫を総合すれば、組合は昭和三二年七月被申請人川口工場従業員により産別会議全日本金属労働組合埼玉支部天田製作所分会として結成され(昭和三三年二月総評加盟全国金属労働組合天田製作所支部となる。)、一時組合員数約一七五名に及んだが、昭和三三年三月の争議直後同工場の一部従業員らにより株式会社天田製作所労働組合(後に「総同盟アマダ労働組合」と改称、以下「天田労組」という。)が結成されてこれに加入する者が相次ぎ、同年九月には組合員数約九名に、さらに昭和三四年六月には五名、昭和三八年三月以降は四名のみとなったこと、申請人は組合結成当初から引続き組合員であることが認められる。

2  ≪証拠省略≫によれば、組合は昭和三三年三月ユニオンショップ協定の締結、賃上げ等を要求して時限スト、二四時間スト等の争議行為を行い、被申請人もこれに対抗してロックアウトを行ったり、申請人ら組合員を申請人の寮から退去させたことがあったこと、以後組合と被申請人の対立が深まり、同年一一月組合は被申請人が組合脱退強要その他の支配介入を行ったとして埼玉県地方労働委員会に救済申立を行い昭和三四年三月被申請人に「チェック・オフにつき天田労組と差別しない。今後不当労働行為を疑わせる行為をしない」等確約させて右救済申立を取り下げたこと、それを契機として組合は以前にもまして活発に活動を行うようになり、同年の夏期一時金要求には六〇日分を主張し天田労組の同調を得て被申請人にこれを承認させたこと、さらに同年六月一三日その所属する埼玉地方本部傘下富士文化工業支部に対する支援活動として、組合事務所前に組合旗を掲げ、職場大会を開催し、被申請人に対し統一行動を予告する等の行動に出たところ、被申請人は、組合委員長松本博に対し組合旗をおろすよう業務命令を出し、同人がこれを拒否するや、常務取締役天田力雄、製造部長代理水上荘三らは、右松本をはじめ就労していた組合員全員を職場からむりやりに門外に押し出し、同日以降定時に出勤して就労を求めた組合員らの入門を工場幹部らが実力で阻止したことがあったことが認められる。

3  同月二五日申請人ら組合員全員(五名)が解雇の意思表示を受けてから同年一二月二五日原職復帰するまでの経緯は、当事者間に争のない申請理由三1(一)ないし(四)のとおりである。

なお、前記甲第二号証によれば、右解雇の効力を争い申請人ら組合員が東京地方裁判所に申請して得た昭和三五年一〇月二一日仮処分命令の理由中において右解雇は不当労働行為と認定され、その後被申請人が昭和三五年一二月二〇日再び行った申請人ら組合員全員の解雇についても、中労委から不当労働行為の判断を受けていることが認められる。

4  ≪証拠省略≫を総合すれば、被申請人は昭和三七年一一月九日経営会議において組合に対する従前の態度を改めること等を取り極めたが、その後においても、組合員らの賃金は在職、経験年数など同等の他の従業員らに比しかなり低額にすえおかれたまま昭和三八年八月中労委職員のあっせんもあって漸く是正され、また、社内報臨時号に被申請人社長の名で、組合の上部団体である全国金属労働組合の昭和三八年度運動方針につき労働運動の名の下に共産革命を目標として行動している等と非難した記事を掲載したこと、前記昭和三五年三月の地労委救済命令にかかる解雇撤回、バックペイ、誓約文掲示も、昭和三八年三月組合を脱退した田口に対するものを除いては、本件配転命令を発した後の昭和三八年一一月二九日に至り漸くこれを履行したものであることが認められる。

5  以上によれば被申請人がかねて組合及び組合員に対して不当労働行為を重ね、組合員を抑圧してこれを企業外に放逐しようと図ったこともあったことは明らかであり、伊勢原工場への配転が申請人のみならず川口工場の一般従業員にとっても有利な処遇といえないことは、配転希望者が皆無であった事実からも窺うことができるし、組合員四名中の一名を同工場から失うことが組合にとって少からぬ打撃であることも、推察するに難くない。

しかしながら、(二)に判示するとおり、伊勢原工場への配転は被申請人の事業上の必要に基くものであって、申請人は一応合理的と認められる配転基準に該当すること、申請人には組合の役員歴もなく他の三名の組合員に比べて特に組合活動が顕著であったと認められる資料はないこと、配転の対象とされたのは非組合員(天田労組員を含む。)二二名のほか組合員では申請人一名であること、被申請人は申請人の配転を発令するまでに組合と団交を重ねていること等に徴すれば、本件配転命令を直ちに不当労働行為と断ずることはできない。

(四)  結局、本件配転命令自体は有効なものと判断される。

三、配転命令拒否の有無

1、本件配転命令は、申請人に昭和三八年一一月三〇日以降伊勢原工場勤務を命じたものであるところ、同年一二月二日までは申請人に有給休暇が認められたことは当事者間に争がない。≪証拠省略≫によれば、右有給休暇中に申請人は感冒のため発熱し、一二月一日医師から向後六日間の安静加療を要するとの診断を受け、同月五日頃まで自宅に臥床していたこと、その間申請人は、同月二日いずれも速達郵便で被申請人本社にあて欠勤届及び診断書を発送すると同時に川口工場内組合委員長松本博にあて同月七日まで病休する旨を知らせたところ、松本あての郵便は翌三日同人に到達したことが認められる。さらに証人松本は同日の団交の席上同人から右郵便物を川口工場長水上荘三ほか被申請人側出席者らに回読させた旨供述し、右証言は同日の団交の議題が専ら申請人の配転問題にあり、当日は有給休暇があけて申請人が伊勢原工場へ出勤すべき最初の日でありながら団交にも欠席していた事情から推してこれを措信するに足り、これに反する小田桐、水上の証言は採用できない。また、小田桐は前記被申請人あて郵便を受領していない旨証言し、同証言により成立を認められる乙第二四号証(被申請人本社の文書受付簿)に右郵便物受領の記載がないことは認められるけれども、仮に右郵便物が被申請人のもとに到達していなかったとしても、申請人が一二月三日以降の病気欠勤について前記欠勤届、診断書発送の措置を講じている以上、一二月三日以降伊勢原工場に出勤しなかった点をとらえ転勤命令を拒否したものとして申請人を責めることはできない。

2、被申請人は申請人ら組合側の態度等から配転命令の拒否があったものと主張し、≪証拠省略≫によれば、一一月二九日川口工場総務課長島田多磨男が申請人に明日から伊勢原工場に出勤するように告げて転居手当を渡そうとした際、申請人は「伊勢原へは絶対に行く意志がない」等怒号して右手当を受取らなかったこと、組合側は一二月三日の団交においても本件配転命令には応じられない旨を言明していたことが認められる。

しかしながら一方、≪証拠省略≫によれば、一一月二九日終業後申請人を含む組合員全員でした協議の結果に基き、翌三〇日組合委員長から被申請人あて「申請人が配転問題につき個人的にも組織的にも準備があるので一二月二日まで休暇をとる」旨の申入書が提出され、同日さらに同委員長から右申入書は「配転に応じられる準備の為のものである事」を付記する旨の文書が提出されたこと、≪証拠省略≫によれば、かつて同年一〇月一七日申請人に対し同月二一日から伊勢原工場に出勤すべき旨の配転命令が発せられた際にも、被申請人は右命令を撤回しないまま二一日以降も右配転につき引き続き組合との団交に応じてきたこと、≪証拠省略≫によれば、組合側は本件配転命令が出された後においても、被申請人の救済命令履行が先決問題であって、配転の問題は右履行完了後(救済命令による五日間の誓約文掲示期間は一二月三日には未だ完了していない。)に本格的交渉に入るべきものと考え、団交席上でも終始その態度を示していたこと、≪証拠省略≫によれば、同日の団交席上組合側から本件配転問題につき同日出席できなかった地方本部の委員長ともなおよく協議したい旨発言し、即日さらに被申請人に団交を申入れていることをそれぞれ認めることができる。

叙上認定の事実を総合して考えると、申請人に対し本件解雇の内容証明郵便(成立に争のない甲第一六号証)が発せられた一二月四日の時点において、被申請人が主張するように申請人及び組合において本件配転命令を終局的に拒否するとの態度が明白であったとは認め難く、とくに申請人自身は一一月三〇日以降前記事情のもとに有給休暇、病気欠勤を継続して被申請人と接触のないまま経過していたことからすれば、被申請人において申請人が本件配転命令を拒否したものと認めたことは速断のそしりを免れない。

四、解雇の無効

以上によれば、申請人は本件配転命令を拒否したものということができず、被申請人が主張する就業規則所定の懲戒解雇事由に該当しないから、本件懲戒解雇の意思表示は無効であり、申請人はなお、被申請人に対し労働契約に基く権利を保有し所定の賃金(申請理由五、当事者間に争がない。)を受ける権利を有するものといわなければならない。

五、仮処分の必要性

申請人本人の供述並びに弁論の全趣旨によれば、申請人は被申請人から支払われる賃金のみによって生活を維持してきたものであり、本案判決の確定に至るまで被申請人から従業員として取り扱われないことによって、その生活に回復し難い損害を蒙ることは明らかである。

六、結論

よって、本件申請はすべて理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橘喬 裁判官 高山晨 裁判官吉田良正は、転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 橘喬)

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